タイトルにございますように「こち亀」で有名な葛飾区亀有に鎮座する香取神社の公式ブログです。
我々ではホームページを更新できませんので、
このブログにて亀有香取神社の日々のちょっとした出来事、
細かなご報告ご案内等を更新していきたいと思います。
たまに神主や巫女の私事も書く事がございますが、
そこはもっと我々神主巫女をみじかに感じて頂きたく、何卒ご理解下さいませ。
現在は神主5人、巫女2人、事務方2人の8人体制でランダムに更新しております。


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2013年02月23日

第9回・古事記B〜みそぎ

こんにちは、神主のすおうです
本日も古事記の現代語訳を進めていきます。
前回はイザナミがいなくなった後のお話でしたので、今回は禊祓と三貴神のお話です。
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黄泉から帰ってきてイザナギは
「私は、なんと嫌な、穢らわしい、汚い国に行ってきたのだろう。私は身体を洗い清める禊をしよう」と言いました。
そこで筑紫野日向の橘の小門の阿波岐原(アハキハラ)まで行き、禊ぎ祓えをしました。
そして投げ捨てた色々な物から神様が生まれました。


御杖……衝立船戸(ツキタツフナト)神。
御帯……道之長乳歯(ミチノナガチハ)神。
御袋……時量師(トキハカシ)神。
御衣……和豆良比能宇斯能(ワヅラヒノウシ)神。
御袴……道俣(チマタ)神。
御冠……飽咋之宇斯能(アキグヒノウシ)神。
左の御手の腕輪……奥疎(オキザカル)神、奥津那芸佐毘古(オキツナギサビコ)神、奥津甲斐弁羅(オキツカヒベラ)神。
右の御手の腕輪……辺疎(ヘザカル)神、辺津那芸佐毘古(ヘツナギサビコ)神、辺津甲斐弁羅(ヘツカヒベラ)神である。
・以上のツキタツフナト神〜ヘツカヒベラ神までの十二神は、身に着けていたものを脱ぎ捨てることによって、生まれた神です。

・私が小学生の頃は『えんがちょ⇒切った』がまだありました。今はどうなんでしょう?
汚いものを触った時に発生する遊びでしたが、汚い黄泉の国から帰って来たイザナギも『えんがちょ』なので、『切った』をしないといけません。それが『禊と祓』です。

・汚れた衣服を脱ぎ捨て、体を洗う。ただ脱ぐのではなく、投げ捨てることが重要です。
そして生まれる神様たち。
この回で生まれる神様は、イザナギのみで生んでます。

イザナギ「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れが遅い」と言って初めに中流の瀬に潜って、身の穢れを洗い清めた。
その時に、
八十禍津日(ヤソマガツヒ)神、
大禍津日(オホマガツヒ)神を生んだ。

・この二神は、黄泉国に行った時に触れた穢れによって生まれた神。

次にその禍(まが)を直そうとして
神直毘(カムナホビ)神、
大直毘(オホナホビ)神、
伊豆能売(イヅメ)神
を生み、


水の底に潜って、身を洗い清め、
底津綿津見(ソコツワタツミ)神、
底筒之男(ソコツツノヲ)神
を生み、


水の中ほどで洗い清める時に
中津綿津見(ナカツワタツミ)神
中筒之男(ナカツツノヲ)神
を生んだ。


水の表面で洗い清めるときに
上津綿津見(ウハツワタツミ)神、
上筒之男(ウハツツノヲ)神


この三柱の綿津見(ワタツミ)神は、阿曇連(アズミノムラジ)らの祖先神としてあがめ祭っている神である。
そして阿曇連らは、その綿津見神の子の宇都志日金析(ウツシヒカナサク)命の子孫である。
また底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命の三柱の神は、住吉神社に祭られている三座の大神である。


・禍々しい神様二柱と、その直後生まれる禍々しいものを直すために生まれた三柱の神様。
そして川の表面、中、底で体を洗った時に生まれたそれぞれ2柱づつ。
2×3=6柱の神様。



※古事記の現代語訳と銘打ってはいますが、『古事記』は様々な解釈・考察がなされている作品です。このブログでご紹介するお話はあくまでも一説でございます。
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2013年02月16日

第8回・古事記B〜鬼ごっこ

こんにちは、神主のすおうです
前回更新してから数か月経ってしまいました。まことに申し訳ありません。
古事記の現代語訳を進めていきます。
前回は神生みでしたので、今回はイザナミがいなくなった後のお話です。
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醜女(しこめ)が追いかけてくるのでイザナギは、髪に着けていた黒い鬘を取って投げ捨てました。
するとたちまち山葡萄の実が生って、これを醜女が拾って食べている間に、イザナギは逃げ延びました。

・鬘は、昔は魔よけとして植物を輪にして髪の上に乗せていました。
なおも醜女が追いかけて来たので、イザナギは今度は右の御角髪に刺している爪櫛の歯を折り取って投げ捨てました。
すると、たちどころに筍が生えて、それを醜女たちが抜いて食べている間に、イザナギは逃げ延びました。


しかしイザナミは、身に纏わり付いていた八種の雷神に、千五百もの黄泉国の軍勢を従わせて追跡させました。
そこでイザナギは、身に着けていた十拳剣を抜いて、後ろ手に振りながら逃げたのです。

・ここでの千五百は『とても多い』という意味です。

それでも追いかけて、現世と黄泉国との境の黄泉比良坂のふもとにやって来た時、イサナギは、そこに生っていた桃の実三つを取って、投げつけました。
すると、黄泉の軍勢はことごとく退散しました。
そしてイザナギは、その桃の実に言いました。
「お前が私を助けたように、葦原の中国に生きているあらゆる現世の人々が、辛い目に逢って苦しみ悩んでいる時に助けてくれ」
そして、桃の実に意富加牟豆美(オホカムヅミ)命という神名を与えました。

・桃は邪気を祓うとされ、お祓いに桃の枝を使用する神社もございます。

最後に、女神のイザナミ自身が追いかけて来た。
そこでイザナキは、巨大な千引の岩をその黄泉比良坂に引き据えた。
その岩を間に挟んで二神が向き合い、夫婦別離の言葉を交わした。
イザナミ「愛しい夫のこの仕打ち……。私はあなたの国の人々を、一日千人絞め殺しましょう」
イザナギ「愛しい我妻よ、あなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てるだろう」


こういうわけで、一日に必ず千人の人が死ぬ一方、一日に必ず千五百人の人が生まれるのです。
なのでイザナミを別名、黄泉津大神(よもつおほかみ)・『道を追いかける神』道敷大神(ちしきのおほかみ)ともいう。


黄泉比良坂を塞いだ岩は、道返(チカヘシ)大神と名付けられた。
【黄泉国の人口を塞いでおられる「黄泉戸(ヨミト)大神」ともいう】
そして、かのいわゆる黄泉比良坂は、今の出雲の国の伊賦夜坂(イウヤサカ)という坂である。

・岩で蓋しなかったらイザナミ、現世に還れたんじゃないだろうかと考えてしまいます。
千引とは、千人の力でようやく動く岩のこと。イザナギはどうやって動かしたのでしょうか
ここの会話は「事戸を渡す=言葉で戸を立てる=別れの言葉」
数字の正確さはともかく、この部分が「人口増殖の起源説話」にあたります。

※古事記の現代語訳と銘打ってはいますが、『古事記』は様々な解釈・考察がなされている作品です。このブログでご紹介するお話はあくまでも一説でございます。
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2013年02月14日

御伽草子 ―鉢かづき―

風が強い日があると花粉が舞い、顔面が辛いですね。

こんにちは、けんたろーです。

今回は日本昔語り、「御伽草子」(おとぎぞうし)を、久々の徒然な時にUpしてみようと思います。


「鉢かづき」

鉢かづき

 それほど遠くない昔の事です。河内の国、交野(大阪府枚方市・交野市一帯)のあたりに、備中守実隆(びっちゅうのかみさねたか)という人がいました。教養のある豊かな人で、夫婦の仲もむつまじく、幸せに暮らしていました。ただ、子供のいない悲しみがありましたが、ある時、姫君がようやく生れました。両親は大喜びして、その幸せを観音に祈り、無事に月日が流れていきました。
 ところが、姫君が13歳になった年、母が風邪をこじらせて重体になり、臨終の床で姫君の髪を撫でながら「ああ、かわいそう。この子が17、8になったら、立派な所に嫁がせ、安心したかったのに、こんな幼い身でこの世に残して私が死ぬとは。あまりのことだ」と、姫君ともども泣き続けます。そして、母は涙をこらえて、そばにあった手箱に何かを入れて姫の髪に載せ、その上に肩のあたりまで覆うほどの大きさの鉢をかぶせた上で、
「さしも草深くぞ頼む観世音誓いのままに抱かせぬる」
(ひたすらお頼り申し上げます。どうか、私たちをお救い下さる観音様のご誓願を信じ、我が子に鉢をかぶせました。〈さしも草〉はヨモギを指しましたが、ここでは全ての生き物の意。観音の救いの対象です)
と、辞世の歌を詠んでこの世を去りました。
 父は悲しみの中で、姫の頭から鉢を取り除こうとしますが、どうしても出来ません。母に先立たれたばかりか、その遺志によって異様な姿とされた姫を、父はあわれに思いますが、どうしようもなく、嘆き悲しむばかりでした。亡き人の弔いが行われていく内に、季節は移っていきますが、姫のいるあたりの悲しい空気は変わりません。しかし、父はいつまでも独身のままでいるわけにもいかず、やがて縁談がおこり、再婚のはこびが進むにつれて、亡き母は忘れられていきました。ひとり、姫君だけが、相変わらず、悲しみに沈んだままでした。その内に継母に子が生まれます
 継母は元々前妻の残した姫が憎くてならなかったのですが、我が子が生まれてからますますそれがひどくなり、父に対して姫の悪口を言うので、それを知った姫はますます辛くなり、いっそ死んでしまおうかとさえ思うようになります。当初は自分が死ねば父はどれほど悲しむだろうと思い、死を避けていたのですが、継母の子が産まれてからは、自分が死んでも父はそれほど悲しまないで済むだろうと思うようになってきます。それで、いっそのこと、早く世を去って極楽で再開したいと、亡き母の墓前で泣く泣く思いを述べますが、答えは返ってこず、しかも継母にそれを知られてしまいました。継母は嘘を交えて、姫の思いを父に度々取り次いだので、それを真に受けた父は怒り、ついに追放を申し渡します。継母はこれを大変喜び、脇を向いて忍び笑いしていました。
 そして、姫を引き寄せ、身に着けていた物を全て剥ぎ取り、みすぼらしい下着姿にして野原の中の四つ角になっている所に置き去りにします。姫は、途方に暮れて泣くばかりでしたが、やがて、当てもなく歩き始め、やがてたどり着いた川のほとりで絶望し、水の中に身を投げてしまいます。しかし、頭を覆う鉢が浮いて沈むことが出来ません。その様を見て不思議に思った漁民に救われ、陸に戻されます。そして、再び姫は歩き始めました。姫は絶望の中で自分の力で生きる道を見つけようとしているのですが、道行く人々はその姿を不思議がり、「化けものかもしれないが、それにしても、わずかに見える手足のなんと美しい事よ」とびっくりします。
 この地の国司、山影の三位の中将(やまかげのさんみのちゅうじょう)という人がいました。彼はたまたまあたりの景色に見とれていて、姫の不思議な姿を目にします。さっそく若侍たちに連れて来させて身の上の話を聞き、同情して鉢を取り除いてやろうとしますが、どうしても出来ません。人々は化け物と思い込んで嘲り笑うだけでしたが、中将は彼女をあわれみ、自分のもとに置いて働かせようとします。尋ねてみると、古典などについての教養が豊かな事はすぐに解りましたが、雑用ができない事も明らかなので、使い道に困って、湯殿で火を焚き、行水の世話をさせることにしました。経験のない仕事でしたが、姫はやむをえず、何とか取り組んでみます。しかし、鉢を被った姿のため、化け物と思い込んでいる人々は誰も同情せず、こき使うばかりでした。

鉢かづき

 こうして、また別の辛い環境に身を置いた姫は、苦しさに堪えるわが身の上を、
「苦しきは折りたく柴の夕煙憂き身とともに立ちや消えまし」
(ここで自分が焚いている煙が空に消えていくように、我が身も消えてなくなるのではないか、というような意味です。生きていけるのかどうかわからなくなった彼女の心細い気持ちがここに表されています)
と、歌います。

 果たして姫が幸せを手に入れるかどうか、また、もっと辛い事が色々待っているのではないか。姫の人柄や美しさ、これまでの数々の不運はいかがなものか。「鉢かづき」の物語はまだ半分までも来ていませんが…その後の成り行きはそのうちまたの機会に〜。

                      (参考文献:社会法人論理研究所「新生三月号」)




〜補足〜
「御伽草子とは?」
 室町時代から江戸時代初期にかけて子女を対象につくられた短編の物語の総称です。「御伽(おとぎ)」とは「お相手」の意で、退屈を慰める話し相手の事。御伽草子はつれづれを慰めるため自分で読んだり、人に読み聞かせて楽しんだ物語です。多くは絵巻や絵本の形に仕立てられ、絵と文両方で楽しめる形式となっていました。内容は公家物・武家物・宗教物・庶民物・異類物・異国物の六種にわけられます。
posted by 香取神社 at 15:21| 神社所作と知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月04日

節分祭御礼

昨日の平成25年節分祭追儺式に際しまして、ご尽力を賜りました総代・亀有警察署・金町消防署・地元消防団を始め、関係各位に厚く御礼申し上げます。

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本年は久しぶりの休日開催ということもあり、子供を中心に多くの方々においでいただきました。

節分は文字通り季節の分かれでございます。
本日は立春、暦では春を迎えます。
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昨日は気候も暖かく豆まきを待つ子供たちの元気な声を聞いていると、豆を撒いている我々も春が訪れたように気持ちが暖かくなってまいりました。

とはいえまだまだ寒さ厳しい日が続いております。
インフルエンザも大変流行しておるようですので、本格的な春を迎えるまで体調管理には十分留意ください。

今後は伝統行事だけでなく亀有楽座や縁日など、子供たちが気軽に遊びに来れる行事を定期開催できるよう取り組んでまいります。

改めまして本年も亀有香取神社を宜しくお願い申し上げます。



posted by 香取神社 at 11:42| 宮司日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月02日

節分祭のご案内


こんにちは、巫女Yでございます。

皆様、お気づきでしたでしょうか?
実は当亀有香取神社の狛亀さんが1月後半あたりから節分仕様になっております。

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さてさて節分の次は一体何に化けるでしょうか…?ぴかぴか(新しい)


≪節分祭のご案内≫

平成25年2月3日(日)斎行

第一回:午後2時〜   亀四・五の東・三和・一舟・富士見崇敬団体
第二回:午後2時半〜  上宿・前津・五西・清交崇敬団体
第三回:午後3時〜   仲町・中川・中央・砂波崇敬団体
第四回:午後3時半〜  東五・浮州・西三・中之台・リリオ崇敬団体
第五回:午後4時〜   神社総代会・来賓


お子さまも安全に節分祭へ参加出切るように、セーフティーゾーンを舞台右側に設置致します。
警察の指導により、肩車などの危険行為は皆様お控えいただくようお願いいたします。




今年も年男・年女が福豆だけでなく、様々な工夫を凝らしてお菓子なども撒かれます♪

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ただ今、明日に向けて準備中…

どうぞ皆さまのご参拝をお待ちしております。


posted by 香取神社 at 15:37| 巫女日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする